ファテープル・シークリーの魅力をあなたにも・・・@インドの世界遺産
今回は、インドの世界遺産ファテープル・シークリーのお話です。

ファテープル・シークリーは、アーグラからおよそ40km西にある、ムガル帝国第3代皇帝アクバルによって建設された都市ですですが、

ほとんどの日本人にとってファテープル・シークリーは馴染みのない名前ですよね。

というわけで、

今日はファテープル・シークリーについて色々調べてきましたので、実際に撮った写真と一緒に、ファテープル・シークリーの詳細やその魅力を余すことなくお伝えしますね。

ファテープル・シークリーはこんな場所

16世紀後半、後継ぎに恵まれないことに悩んでいたアクバル帝に、アグラ郊外のシークリーに住むイスラム教の聖者シェイク・サリーム・チシュティーが「皇帝は3人の息子を授かる」と予言しました。

その後、本当に子宝に恵まれたことから、小さな村でしかなかったシークリーへ都を移転させたのが、そもそもの始まりです。そしてちょうどその頃、ムガル帝国がインドの西部を制圧したため、新しい都はファテーブル(勝利の都)・シークリーと名づけられました。

ファテープル・シークリーは、1566年から約5年という歳月を経て1571年に完成した都でしたが、慢性的な水不足と猛暑によりわずか14年で放棄されてしまいました。

またファテープル・シークリーは、戦禍を逃れて今に至ることから、ヒンドゥーの建築様式とチムールやペルシアのイスラム様式を融合させた特徴的な建築物が、状態の良いままま現存しています。

Infomation of Fatehpur Sikri

アクセス
アグラから車で約1時間30分
営業時間
日の出~日没
休業日
休みはない
入場料
Rs.510(ADAチケットRs.10を含む)
それでは、これより実施に『ファテープル・シークリー』へ行き撮影した写真と共に、ファテープル・シークリーの魅力をお伝えしていきましょう。

写真で見るファテープル・シークリー

こちらは、「パンチ・マハール」といい、最上階のドームに向かって4つのフロアが重なる五重の塔です。176本もの柱を使った日本では決して見ることのできない独特なデザインは、ペルシアの建物をモデルにしたものといわれています。そして、最も広い地上階には、ヒンドゥー教の教えの中で縁起の良い数とされる84本の柱が使われています。


手前のプールの奥に立つ建物は「クワーブ・ガー」といい、アクバル帝が側近と会ったり執務を行った場所です。1階の一部がクワーブ・ガーと呼ばれる皇帝のプライベートルームで、池の中央では音楽演奏者たちが楽器を奏でていたといわれています。


ファテープル・シークリーは、その独特の建築美から宝石の家とも呼ばれています。特に内部は緻密な彫刻で彩られ、その中でも中央の玉座は圧倒的な美しさを誇っています。


こちらがその王座ですが、人々が仰ぎ見る形になるように部屋の中央に配置されています。また皇帝は、日中は風通しの良いこの玉座で過ごすことが多かったそうです。


こちらは「ジョダ・バイ宮殿」で、アクバル帝とその妻たちが住んだ宮殿として知られています。皇帝にはヒンドゥー教徒のジョダ・バイの他、イスラム教徒とキリスト教徒の妻がいて、中庭を囲むように3人の部屋が建っています。そして皇帝は、寝室があるクワーブ・ガーとこの宮殿を行き来しました。


こちらは「ディワニ・アーム」と呼ばれる100本以上の柱が連なる一般謁見の間です。皇帝は中央の柱間に座って謁見を許したと言われています。


壁やアーチを飾る幾何学模様は、イスラム建築の特徴的なパターンの一つです。


ファテープル・シークリーの見学を終え、出口へ向かう途中、手に大量の“うちわ”を手にした緑色の服装をした女性が近づいてきました。今回訪れたインドの世界遺産には、こうした商人や乞食が数多くいました。。。

まとめ

今回ファテープル・シークリーを見学させていただき、まず驚いたのが今から約500年も昔にこのような壮大な建物が建てられたということ。

そして、莫大な資金と5年もの歳月をかけてまで民にこれを造らせた、絶大なる権力を持っていた皇帝がいたということ。

日本という島国で生まれ育った私には、想像することすらできない世界に、只々驚くばかりでした。

しかし、ファテープル・シークリーの出口付近で、うちわを売りさばく商人と出会い、きっと500年昔も殆どの人々がこのような状況下であったことを想像するのは難くありませんでした。

以上【ファテープル・シークリーの魅力をあなたにも・・・@インドの世界遺産】でした。

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